先日、興味深い研究成果が発表されました。それは、古代人の食人が、単なる栄養を摂ることを目的とした食事ではなく、儀礼的意味合いがあったとの結果を示したものでした。
【目次】
今回の記事では、生態人類学者マーヴィン・ハリスの著作を参照し、食人(カニバリズム)と儀礼の関係性についてまとめていきたいと思います。
ヤフーニュースに載った食人に関する研究論文の内容
内容ですが、要約しますと
現生人類を含む古代の人類が人肉を食べる食人(カニバリズム)をしていたのは、栄養価の高い食事を取るためというより儀礼的な目的のためだった可能性の方が高い。食人をする理由として、死んだ親族に敬意を表す、縄張りを示すなど、栄養をとるという理由以外のものが考えられる。
となります。 いかがでしょうか?意外でしたか?それとも、思った通りでしたでしょうか?
カニバリズム研究ーマーヴィン・ハリスの研究
わたしは、この記事を読んだ時、食人(カニバリズム)を研究したマーヴィン・ハリスという生態人類学者の著作を思い出しました。
その本の名は、『ヒトはなぜヒトを食べたか』という、ショッキングな名前の学術書です。

ヒトはなぜヒトを食べたか―生態人類学から見た文化の起源 (ハヤカワ文庫―ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: マーヴィンハリス,Marvin Harris,鈴木洋一
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1997/05
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (19件) を見る
この本では、農耕や牧畜による栄養摂取から、「食事」に関する人類の信仰や儀礼、タブーに迫ったものです。
それでは、食人(カニバリズム)についてのマーヴィン・ハリスの研究を見てみましょう!!
食人と儀礼ーアステカを事例にー
この本でカニバリズムについてまとめている第9章「食人王国」 [前掲書:151-172] の概要を見てみましょう。
アステカの人身供儀
アステカの神々は、人間を食べた。人間の心臓を喰らい、人間の血を飲んだのである。アステカの神々は、捕虜を主な食料源とした。捕虜は、ピラミッドの階段を歩かされて、神殿まで連れて行かれ、四人の神官が捕虜を石の祭壇の上に仰向けにして大の字に体を押さえ、五人の目の神官が短剣をうるって、その胸を切り裂く。それから、心臓がもぎ取られ。神への供物として、焼かれた。
こうした儀礼について、マーヴィン・ハリスは、フロイト主義を応用し、拷問・供儀・食人習俗は、愛や攻撃を志向する本能を表現 したものであるとの前提を立てます。
→しかし、なぜ捕虜を供物に捧げたのでしょうか?
軍事的なコストとベネフィットに、つまり、政治的規模、軍事技術などに、諸変数を求めなければならないと考え、以下のような理由を示します。
→なぜ、「生きている」捕虜が必要か?
① 拷問の延長、戦場では、敵に対し、無慈悲であることを教え伝える。
② 殺人の儀礼、神々を喜ばせる供儀 →戦争そのものが、儀礼的殺人、殺された敵は、「生贄」である。
③食人習俗 拷問=供儀=食人の複合
と、主な理由を示すのです。
→では、なぜ、ピラミッドの上で、供儀が行われたのでしょうか?
ピラミッドから、落ちる死体、それを皆で食べる、 踊りと儀式と食人の盛大な祝祭へ となります。
アステカの神官たちは、動物性蛋白質を人間の肉という形で大量に生産・再分配することに順応した国家体制における儀礼的殺人者だったのです!!
メソアメリカにおいて食人習俗を奨励したのは、人口増加により「枯渇」してしまった生態系の中で、動物性たんぱく質を求めた、コスト=ベネフィットの結果でした。
✖これは、単純な食料需給のためではなく、動物性のたんぱく質を政治的支配者が再分配する行為が目的となります。
つまりは、政治支配のコスト=ベネフィットであり、政治的崩壊を食い止める恩恵を生み出したものでした。
どうでしょうか。少し難しいですが、なんだか興味深い内容です!!
食人が、儀礼であると、考えるならば、その目的が、神という超越的な存在への供儀なのか、もしくは、神を通して市井の人々を操ろうとする為政者の企みなのか、それとも、両方なのか、ロマンが広がりますね。
素敵な本のご紹介
こうした「食事」について、興味深い本が出版されました。それは、気鋭の民族学者でらっしゃる山田仁史先生の『いかもの喰い』という本です!
この本では、犬や土、そしてヒトを食べる習俗、そしてその先行研究について迫っており、非常に読みやすいものとなっています。
とくに、わたしが気になったのは、「犬」をたべる習俗についてでした。