オニテンの読書会

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戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』をめぐる二人の《作者》の物語

 戦後最大の奇書と呼ばれる『家畜人ヤプー』を、みなさんは読んだことがありますか?わたしは、この作品の「見ちゃいけないものを見てしまった、でも、また見たい」というような感覚に圧倒されてしまいました。

 「『家畜人ヤプー』の作者の正体は、誰であるか」は、現在でも意見が分かれるもののようですが、今回の記事では、《ご本人たち》が残した文章に従い、「天野=沼」説をまとめています。

【目次】

 

 

『家畜人ヤプー』とは、

 1956年から1958年に『奇譚クラブ』で連載が開始され、1970年に単行本化

2000年後の宇宙大帝国では、日本人の後裔ヤプーが、白人女性の慰み物となっている。倒錯した性の世界、マゾヒズムの極致を描き出した作品

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(フィアンセが他の男と婚約したするのを椅子として見届ける主人公。漫画版より)

家畜人ヤプー(1) 宇宙帝国への招待編 (石ノ森章太郎デジタル大全)

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 

 

 三島由紀夫や寺山修司ら、多くの著名人から絶賛を受け、作家阿刀田高は、

確かに猟奇的な面はあります。しかし、その想像力の度外れ方は感服するほかない。私小説が主流をなす日本文学において、スケールの大きさでは他を寄せつけません。私なんか、世界に堂々と誇っていい書だと思いますよ。(『鳩よ』1988 20頁)

 と、かなりの評価をしています。

 

『家畜人ヤプー』の《作者》

 この『家畜人ヤプー』の作家沼正三は、覆面作家で、1970年の出版以来、作者沼正三の正体は一体誰なのか、人々の関心を集めていました。

 徐々に、「誰が沼正三なのか」から、「彼が沼正三ではないか」というように作者の正体に迫っていくことになります。そして、高等裁判所判事倉田卓次、そして編集者天野哲夫の二人に行き着くことになるのです。

 前回の記事では、1982年に突如としてマスコミから「作者」としてでっち上げられてしまった『家畜人ヤプー』事件を倉田卓次氏の目線から、まとめてみました。

www.oniten-yomu-book.com

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(当時の雑誌記事、大々的なスクープとして扱われていたことがわかる。筆者所有

 今回の記事では、1983年に「自分こそが、覆面作家沼正三である」と告白した天野哲夫氏の目線から、『家畜人ヤプー』事件について考えてみたいと思います。

 

天野哲夫の略歴

  天野哲夫は1926年3月福岡県生まれ、商業学校卒業後に満州特殊鋼鉄株式会社に就職し、満州へ渡る。徴兵に伴う帰国後、佐世保警備隊世知原分隊に所属し、福岡で8月15日を迎える。そして戦後、肺結核で療養生活に入るが、1949 年に家族を追って上京し、療養生活 を送りながら『奇譚クラブ』などの風俗雑誌に原稿を投稿して生活費を稼いだ。 1967年に新潮社に中途入社し、校正や、編集者として働いてきた天野は本業の傍らで複数の筆名での連載を続けつつ、『ヤプー』の単行本が刊行される1970年頃から、沼の代理人としての活動を開始。

 天野哲夫は、こうした自分自身の経歴と、作者であると報じられた倉田卓次の経歴を比較し、以下のように述べています。

満蒙荒蕪の山奥に流れ住んだ青春の一時期は、誰も検索できぬ靉靆たる彼方に霞み去っている。つまり、私はいかがわしい人間なのである。ニセモノとしての侮蔑を見に受けるは、マゾヒストとしての立場からは一種のこれが法悦ともいえる。(『潮』1983 151頁)

 しかし、倉田卓次に累が及ぶとなれば、事情が違ってくるとし、自分が名乗り出した理由を説明しています。

 天野哲夫の述懐では、倉田卓次が作者とされたのは、倉田が、典型的書斎人であり、私とは、格が違う、彼に書けても私には『家畜人ヤプー』のような作品は書けないだろうと、思われたことが、この『事件』の原因があると考えているようです。

 

 

覆面作家・匿名である事の意味

 天野哲夫本人が、 作者の正体を明かさない意味について、『家畜人ヤプー』の単行本が刊行された1970年に、雑誌に沼正三の代理人として、思いを綴っています。

作者が誰であろうと、問題は作品それ自体にすべてがかかっていることであり、作者は果たして誰か!なぞの覗き趣味は余計なことである。(『新評』1970 121頁)

 そして、「沼正三は私である 」と名乗りをあげた1983年の記事では、『奇譚クラブ』で親交を深めた倉田卓次をはじめ、先輩畏友から意見や知恵を頂いたとして、『家畜人ヤプー』の文責は、私自身にあるとしながらも、

躊躇するものがあった。なべて文なるもの、盗作ならざるはなし。実際、沼正三なる名は私一人のものではないという意識が強く働いた。これは仮設人格である。(中略)作者不詳、生みの親を知らずして、なおかつ子はあの如く、すくすく一人歩きするのではないか。親離れ子離れの、斯くの如き作品よ、生まれ出でよかし、の自らの待望もあった。(『潮』1983 153頁)

 沼正三は、あくまでも仮設人格であり、それは知識や意見を提供してくれた人々の影響を強く受けたものであったことが伺い知れます。複合的に、人工的に作られた作者像が、沼正三であったのです。

 天野哲夫と沼正三の対話

  このような、天野哲夫と沼正三の関係性について、良い事例となるものがあります。それは、天野哲夫と沼正三の対談です。奇妙な話ですが、《二人》は、対談しているのです。

 これは、雑誌『伝統と現代』(昭和45年10月号)「対談『家畜人ヤプー』における日本神話」としてまとめられています。この対談では、沼がSM作品やSF作品の知識から『家畜人ヤプー』におけるメタファーについて説明しているのですが、聞き手の天野哲夫がその作品を知らない、読んでいないなどの箇所が目立ちます。

 この対談では、知識量においては、沼は天野よりも博学で、鋭い洞察力を持つ人物であるように描かれています。(この対談は興味深いものであるのですが、この対談については特別に記事を書きたいので、割愛いたします。)

 この対談の「対談後記」には、以下のような感想が述べられています。

沼正三氏と私との間は、折あるごとに触れてきたとおり、ありにも奇しき縁にて結ばれ、これを譬えて、"形影相伴う"といった形容そのままに、二人の間には口惜しいほどに互いの異論というものが生じない。もちろん、人相・風態ともにそれぞれ異った似もつかぬ風貌をし、趣味・嗜好、あるいは履歴・環境等の細部にわたって大篆・小篆の差異をまで否定するつもりはない。(121頁)

 天野哲夫は、沼との対談は「最も典型的な馴れ合いのうちに進められ」、とても「心楽しいものであった」と振り返っています。

 天野は沼とは、別の個人であることを意識しながら、沼の代理人をつとめることになりますが、 「自分が沼である」と名乗りだしてからは、徐々に沼正三名義での活動を本格化していきます。沼と天野が同化していく、といっても良いかもしれません。

 

二人の《作者》

 『家畜人ヤプー』の作者を巡る問題には、倉田卓次と天野哲夫の二人のどちらなのかという問いと、そして、天野哲夫と沼正三は同一人物として扱うべきなのかという問い、という「二人の《作者》」の問題へと辿り着きます。

 それは、メディアが作り出した作者像、人々の意見や期待を吸収することで巨大になった作者像、そして、もう一人の自分としての作者像といった、多面的な「沼正三」という存在のあり方を問うものとなっているのです。

 『家畜人ヤプー』は、その作品そのものも面白いですが、作品の外側、作品に関わった人々を調べるのも面白い作品となっています。

 

 

《主な参考文献》

 各雑誌の記事は、東京都世田谷区八幡山にある《雑誌の図書館》大宅壮一文庫で複写・閲覧したものです。みなさんも、気になる事件や出来事があったら、大宅壮一文庫に赴いて調べてみると、とても面白いですよ!!

 

阿刀田高 1988 「沼正三『家畜人ヤプー』」『鳩よ』昭和63年12月号

天野哲夫 1970「「家畜人ヤプー」代理人の証言」『新評』昭和45年8月号

天野哲夫・沼正三 1970 「対談『家畜人ヤプー』における日本神話」『伝統と現代』昭和45年10月

天野哲夫 1983「家畜人ヤプー贓物譚」『潮』昭和58年1月号

森下小太郎 1982 「倉田卓次判事への公開質問状」『諸君!』昭和57年12月号

ci.nii.ac.jp

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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