オニテンの読書会

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台湾の「民間療法」と「精神病院」を考える場所:龍発堂

この前、台湾鉄道で台湾南部の「高雄」から「台南」まで移動しました。

両地の境で、一つ不思議な建築をみかけました。

看板には、「龍発堂」と書いてあります。

 

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〈写真1〉龍発堂写真(写真出典:


台湾では、龍発堂はほぼ「精神病院」とイコールとなっているくらい代名詞的存在です。
「あなた龍発堂から逃げ出したのか」、「あなたを龍発堂に送ろうか」など、日常生活の中でも、ジョークにしたりする際に出てくる言葉です。

 

台湾人失格で、恥ずかしいことですが、この時はまさに、
「『龍発堂』が本当に存在するか!!!!!!」と驚きました。


あまりにも慣れた言葉で、まさか実際に存在する場所(しかも精神病院がそんなに堂々と自分自身の存在するを宣言するような造りをとる)と思いませんでした。


日本人の方々にとって、恐らくあまり馴染みのないところでしょう。
ここで少し調べたことを紹介していきたいと思います。

 

龍発堂縁起

龍発堂は高雄市路竹区に位置する精神病患者の受入れ施設です。

1971年、仏教の僧侶、釋開豊によって成立しました。写真の中の、建築物の金色の像は釋開豊で、周りの小さい小人は龍発堂内受入れた患者さんです。

宗教的色彩、大量な収容者数(※1986年の資料では約200人で、2007年の資料では約600名と記しています)、そして薬を要らず「民間療法」の提唱はその特徴です。

 

最初、釋開豊が自身の修行のために畑の真ん中で草ぶきの小屋を建てました。
その後、ある女性から「息子を和尚様のところに弟子入りしたい」と懇願しまして、その息子が、実は精神病患者と発覚しました。
放火癖のある息子は家族と違う小屋に閉じ込められ、排泄なども難しく、自立した生活はなかなか厳しい状況でした。
その息子を弟子として迎えた後、看護しやすくするため、釋開豊は自分の腰と彼の腰との間に草なわで結びつけました。二人は一緒に日常生活を過し、彼に生活や簡単な労働を教えてあげました。暫く共同生活した後、なんと患者さんが従順になりまして、なわを外しても仕事の手伝いをして、まるで生まれ変わったようだったといいます。家族もそれに驚きました。この奇跡的な事件を経て、数多く家族の方が患者さんを釋開豊の元に連れてきました。

 

獨自の「感情錬」療法

この記念的な出来事に基づき、龍発堂は「感情錬」と呼ばれる独特な「民間療法」を生み出しました。つまり、薬に頼らず、軽症の患者さんと重症の患者さんと二人をペアにし、「感情錬」と呼ばれる鏈で二人を結び、お互いに励ましたりする療法でした。(※現在はこの療法はすでに廃棄しました。)

そして、受け入れる生徒(堂内で「患者」と呼ばず、「生徒」と称するようでした)の数が多くなると、生徒達に楽器を教えたり(お祭りの際にあちらこちらに演奏しに行きます)、施設内の養鶏場、紡績場で働かせたりするなどの職能訓練などもしていました。

そして、基本的にお布施(タダでも大丈夫)の形式で「生徒」を受入れらるため、家族の病気で困った人々にとって、経済面ではかなり助かると考えられます。

 

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写真家、張乾琦が撮影した、感情錬に結ばれた堂内「生徒」の写真。
張乾琦が《錬》をテーマとし、2001年台北美術館で龍発堂シリーズを撮影展を開催しまして、話題を呼びました。

但し、黃筑が龍発堂現在の管理者の方にインタビューをし、張乾琦の写真内「生徒」の顔をはっきり映ることに対してやや非難をしていました。

 

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1980年代後半から龍発堂の「民間療法」は、徐々にメディアの注目を集めました。西洋医療の訓練を受けた精神科医は龍発堂を小ばかしている態度をとり、一般の人々でも「あなた龍発堂から逃げ出したのか!」という皮肉な言葉を言い出しはじめました。(現在に至るまでも時々使っています)

龍発堂は、社会からの賛否両論を集めました。1986年の際に、釋開豊が120名余りの生徒さんを3泊4日の旅行に連れ出しました。「正常社会」が崩れそうになる恐怖と共に、この旅行は社会中からの不安や批判を受けました。ところが、生徒たちの軍隊のような整然たる規律も人々を驚かせました。この「おとなしさ」と「治った」ことはイコールかどうかはともかく、精神病患者のもう一つのあり方を提示していました。

 

1990年代になると、台湾では「精神衛生法」が制定され、精神病患者を受け入れる施設は、「医療」を施す義務を課しました。また、政府機構も龍発堂を解散し、正規医療の傘下に置こうとしました。それに対して、龍発堂は家族や患者さんの力を合わせて、抗議などを行い、最終的に存続することになりました。

2004年、釋開豊が亡くなり、その遺体を「肉身菩薩」(日本の「即身仏」のような存在とも言えるでしょう)として、〈写真1〉みた金色の像内3年間安置した後、堂内で祀られるようになりました。

(余談ですが、日本最後の即身仏、仏海上人は1903年入定したようです。)

 

龍発堂は宗教施設である一方、医療、農場などの機能も持っていまして、現代人の目線からみると、なかなか不思議で、分類しづらい施設です。 

現在、龍発堂の社会的、制度的位置はまだまだ曖昧ですが、積極的に合法化を目指しています。

 

 

 

参考資料

 

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