オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

正解のないものが好きだ。 肉吸いとわたしの物語

 わたしは、正解がないものに惹かれる性格です。正解がない、というのは、学術的には、理論や再現性がない、ということになるかもしれませんが、もっと、日常的なものです。

 たとえば、埼玉から茨城県まで、カーナビや地図を使わずに行ってみよう、そして、何回も通って、自分なりの「素敵な道」を見つけてみよう、とドライブを楽しみます。

 また、見たことのない、味わったことのない、聞いたことのない、ものを想像するのが好きです。それには、正解がなく、可能性が無限に広がっているように感じます。

 そんな性格のわたしですので、人によっては、「時間の無駄」、「好事家」と言われることも多々あります。最短距離を目指す人々に比べ、わたしは、非常に回り道が大好きな人間であると思います。

 

正解はあるのだろうか

 現在のネット社会では、「論破」という言葉をよく見ますが、せっかちな言葉だなと思っています。AとBの討論において、Aが絶対的な善である確証を持っていなくては、Bを論駁するとしても、それは最良の答えではない、という考えは、ネット社会にはないようです。

 最良の答えを求めるのではなく、自分の意見が優っているように、相手を言いくるめるのが、現在の状況のようです。

 デカルトが、討論は意味がない、といっていましたが、こうした状況を言っていたのかもしれません。

学校で行われている討論というやり方で、それまで知らなかった真理を何か一つでも発見したというようなことも、見たことがない。というのは、誰もが相手を打ち負かそうと懸命になっている間は、双方の論拠を考量するよりも、真実らしさを強調することに努力しているからである。長年すぐれた弁護士であった人が、そのために必ずしも、あとでより良き裁判官になるわけではない。(91) デカルト『方法序説』

 「論破」という言葉には、武道にある「残心」という考えがないようにも感じます。マウンティングをとって、殴り続けるのが、現在の討論であるようです。審判が止めるまで、殴り続ける。相手を制したら、矛をおさめるということは、ありません。日本は、いま、武道的感性から、総合格闘技的感性へと移っているのかもしれません。(武道と総合格闘技の間には、燦然と輝くプロレス的感性があるように思えます。)

 わたしは、正解という確証をもたず、疑い、何をもってそれを正解と呼ぶのかを、模索するのが好きです。基本的に、本を読んでも、内容については、あまり信用しません。それは、事例以上に、「考え方」やそれに至る論理のプロセスが面白いかどうかが、わたしにとって重要だからかもしれません。

 

「肉吸い」とわたしの物語

 最近、わたしは、肉吸いを作ることにハマっています。しかし、わたしは、「肉吸い」を食べたことがないのです。人生一度も。

 「肉吸い」とは、肉うどんの、うどん抜きという食べ物です。つまり、スープのようなものです。関西圏の食べ物だそうで、関東生まれのわたしは、肉吸いという食べ物を知ったのは、去年のことでした。

 ここで、面白いのは、肉吸いのレシピを調べても、作り方は、様々で、全く同様のものは存在しない点です。

 

cookpad.com

 そうです、ここには、なにが「肉吸い」たるかという明確な「答え」は、存在しないのです。ここでは、肉吸いの答えは、無数に存在し、確固たる肉吸いという存在は、存在していません。「肉吸い」とカテゴライズされる料理が存在するだけです。

 それに加え、わたし自身も、家族も肉吸いを食べたことがないのです。

 これは、むしろ、肉吸いを作ってみて、肉吸いとは何かを探求するのが、面白いのではないかと思い立ちました。

 早速、牛肉を購入、食材は、ネギのみと決めました。それは、シンプルなものから作った方が良いと思ったからです。この時も、レシピは見ません。「うどんのうどん抜き」という言葉を信じて作り続けています。

 一週間のうち、わたしは自作、夢想、「肉吸い」を、2回は作ります。妻に食べさせて、美味しいか、不味いか、これは肉吸いなのか、と毎回尋ねますが、妻も肉吸いを食べたことがないので、確証を得ることはできないのです。

 ただ、一回だけ、これが肉吸いなのではないか、というものを作ることができました。妻も、これじゃないか、と言ってくれたのですが、その調合は奇跡的なものであったようで、もう一度作ろうとしても、全く作れないのです。20回以上作っても、再現はできません。

 しかし、いつか、これが「肉吸い」だと、わたしなりの答えが出た時に、関西に行って、肉吸い発祥の地と言われる「千とせ」で、その解答をみたいとおもっています。

 たとえ、その肉吸いと、わたしの肉吸いが全然違ったとしても、美味しい料理ができたことには、違いないのです。

 

そんな日を想い、今日も、肉吸いを作る、そんな日常です。

 

【参考文献】

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

 

デカルト『方法序説』を読む (岩波現代文庫)

デカルト『方法序説』を読む (岩波現代文庫)