オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

薩摩における男色と明治維新

  来年の大河ドラマは、西郷隆盛(1828ー1877)をモデルとした「せごどん」に決まりました。原作者も林真理子さん、主演は鈴木亮平さん、脚本は中園ミホさんと、錚々たる面々に。もう楽しみで仕方がないですね。

www6.nhk.or.jp

 

 そんな中、こんなニュースが報道されました。

www.itmedia.co.jp

 

 このドラマで、ボーイズラブを描くことになると、脚本家の中園ミホさんが言及した、という内容です。

 ボーイズラブというのは、現代的な言葉ですので、その時代の「衆道」、「男色」が描かれることになるのでしょう。

 わたしとしては、「よし!来た!!郷中教育!」と思いました。

【目次】

 

 それでは、「せごどん」と当時の男色文化について、少しまとめてみたいと思います。

 

 

男色、衆道ー薩摩、明治、郷中教育ー

○男色と薩摩関係についてーせごどんの時代における「鶏姦」ー

 まず、男色文化と薩摩という土地柄が、なぜつながりを持って語られるのでしょうか?それは、薩摩=男色の盛んな場所という共通認識が、人々の間にあったためです。

 明治期においては、男色が流行した理由として、薩摩と代表する旧藩の青年が都市、中央にもたらしたものであると、語られていました。これは、後述する薩摩における郷中教育という、男色文化の温床を経験した青年たちの、社会進出、中央進出を考慮したものであると考えれます。

 また、鹿児島県(薩摩)において、男色が密接な関係にあったことをうかがわせる新聞記事として以下のようなものがあります。

 明治 5 年(1872)9 月の『新聞雑誌』は「鹿児島県の男色衰ふ」という見出しでつぎのように報じています。。

 「鹿児島の男色衰ふ」

 近日鹿児島県より帰りし人の話に、同県管下は旧来男色の悪弊ありしが、近時は其風稍衰えたり、依て妓楼を設けんことを企つる者これある由。

 これは、明治時代の報道ですが、男色の文化があった鹿児島県でも、男色の文化が衰えてきた、と報じています。また、この報道が出た年が、1872年であるということも男色を考えるときに、重要であると考えられます。

 

○明治における男色、1872年鶏姦条例、学校における男色行為

 少々脱線しますが、この記事が出た、1872年にも注目したいのですが、この「1872年」という年は、日本の男色、ホモセクシャルを語る上で、非常に重要なものです。 

 1872年には、男性同士の性交渉を禁じた鶏姦条例が発令された年です。「鶏姦」とは、日本においては1870年代から1910年代まで、男色、同性愛行為をあらわす言葉として使われていました。この鶏姦条例を廃止するのは、お雇い外国人のボアソナードでした。彼は、フランス法典にソドミー法が、無いこと、そして、「同性愛者は、その存在が知られたことで、すでに社会的制裁を受けている」との見解を示し、この条例を廃止に導きました。

 こうした背景を考えますと、上述した「鹿児島県の男色衰ふ」という記事も、男色文化への風当たりの強さを感じた人が、答えたのかもしれません。そして、なによりも、鶏姦条例を出すことになるほどに、同性愛が一般に行われていたことも考えられるのです。

 若者の同性愛行為が、描かれたもので有名なのが、森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」です。学校において、異性の事に夢中の「軟派」と、同棲愛を好む「硬派」が存在し、主人公である金井は、硬派からの付きまといをうけ、「硬派の犠牲」となるといった内容です。こうした学校内においても、同性愛が公然と行われていた時代であったのです。 

 この小説は、森鴎外(1862-1922)の自伝的小説と言われていますので、鶏姦条例など関係なく、結ばれていった少年たちがいたことも伺えます。

 

ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)

ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)

 

 こうした学校内における男色の他にも、軍隊内においても男色行為は盛んに行われており、民俗学者フリードリ・クラウスは、『日本人の性生活』で、「男子同性愛が兵士や士官の間に蔓延している」と述べているます。

 そして、このような、明治初期からの男色の流行の理由として、明治維新によって、薩摩を代表する旧藩の青年が中央にもたらしたものであると、考えられるそうです。

 

○郷中教育

 では、なぜ薩摩において男色文化が花開いたのでしょうか?それには、薩摩における青少年の教育制度が重要な役割を果たしたものと考えれるそうです。

 郷中教育についてまとめますと、

 薩摩では、領内を100以上の「外城」に分けて、屯田制度をとっていました。この「外城」は一般に「郷」といわれ、各郷ごとに「郷中」という青少年団体が構成され、年齢に応じて、「稚児(ちご)」、「二才(にせ)」に分けられました。

 「稚児」は、6,7歳から14,15歳までの元服前の少年で、10歳までを「小稚児」、それ以上を「長稚児」といいました。

 「二才」は、元服してから妻帯するまでの青年たち、年齢的には、14歳くらいから25歳くらいまでの青年になります。

 二才は、稚児に剣術を教えたり、薩摩武士としての人間形成を担いました。二才と稚児は、とても親密な関係にありましたが、稚児は他郷の二才と交際することは禁じられていました。

 中には、美しい稚児を「さま付け」で呼び、賛仰して、他の郷の二才たちに奪われないように寝ずの番をつける二才がいた、という話も残っています。擬制的な兄弟関係が、愛、性愛関係を伴うのは、世界中広く見られますね。ex.ギリシア、パプワニューギニアなど。

 氏家幹人氏は、かかる教育制度の中で、性愛の文化が育まれたのではないかと、推察されています。

 こうした、環境下で育った少年たちが、明治維新を機に中央へ進出して、日本に男色文化を広めていったのでしょうか。いろいろと、妄想が膨らみますね。

 

 

 

最後に

 薩摩においては、男色文化に触れない方がおかしいのかな、とも思えますので、是非男性同士の愛を、来年の大河では描いて欲しいものであると思います。

 そのときには、男性同士の愛を「ひっそり」、「こっそり」としたものではなく、あっけらかんと、爽やかに描いてもらいたいものです

 性あっての人生であると、思うので、それぞれの人生があれば、それぞれの性があって良いのではないかな、と思う今日この頃です。

 それにしても、鈴木亮平さん、幅広い役をやる役者さんですよね。変態仮面やっていた彼とはおもえません!!

 

 

 

【参考文献】

武士道とエロス (講談社現代新書)

武士道とエロス (講談社現代新書)

 

 氏家幹人先生の本にハズレはないです!!

増補 大江戸死体考 (平凡社ライブラリー837)もおすすめです!!

 

 

大島俊之. "ソドミー法を終わらせたヨーロッパ人権裁判所." 神戸学院法学 35.1 (2005): 77-150.

http://www.law-kobegakuin.jp/~jura/law/files/35-1-01.pdf

 

ci.nii.ac.jp

 

斉藤巧弥. "明治期の新聞における 「鶏姦」 報道の特徴:『読売新聞』 と 『朝日新聞』 の分析から." 国際広報メディア・観光学ジャーナル= The Journal of International Media, Communication, and Tourism Studies 24 (2017): 21-38.http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/64760/1/21.pdf

 

【おすすめ本】

 以下の本は、日本中世〜近世の性愛について考える際に絶対に読んでおくべき本だと思います!!安いし、読みやすい本ですよ!!

美少年尽くし: 江戸男色談義 (平凡社ライブラリー)

美少年尽くし: 江戸男色談義 (平凡社ライブラリー)

 

 

破戒と男色の仏教史 (平凡社新書)

破戒と男色の仏教史 (平凡社新書)

 

 

女犯―聖の性 (ちくま学芸文庫)

女犯―聖の性 (ちくま学芸文庫)

 

 

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