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オニテンの読書会

思ったことを綴っていこうと思います。

外国文化と戦う「カタカナ」の物語    山口謠司『カタカナの正体』 オススメ本の紹介です。

 わたし達の生活、職場、学校は、横文字であふれています。その横文字の単語が、アルファベットで表されることは、ほとんどなく、「カタカナ」で表されるのが普通です。

 突如、現れる外来語、わたし達は、不安や疑問を抱きながらも、「カタカナ」で表されることで、発音し、意味を類推することになります。たとえば、2000年代の選挙で突如、叫ばれるようになった「マニフェスト」を、初めて聞いたときは、意味がわからないながらも、海外から来た有難い言葉のように感じていました。その「マニフェスト」も、すでに死語となっている感もあります。 

 しかし、政策提言、公約などといわず、「マニフェスト」と呼んだり、manifestoという外国語を、カタカナで表すことの必要性を考えると、外来語とカタカナの日本における重要性、新奇性に気づきます。

 そうしたカタカナの持つ機能について、カタカナの発生から、外国語との折衝の歴史を概観した素敵な本をご紹介したいと思います。

 

 山口謠司 『カタカナの正体』

カタカナの正体 (河出文庫)

カタカナの正体 (河出文庫)

 

 内容

カタカナ・ひらがな・漢字を使い分けるのが日本語の特徴だが、カタカナはいったい何のためにあるのか、どのような役割を果たしてきたのか―。奈良時代にまで遡って日本語の歴史をひもとき、多彩なエピソードをまじえながら綴るユニークな日本語論。日本語の日本語らしさを支えてきた“カタカナ”の正体とは?

 

 題名が『カタカナの正体』という、非常に内容がわかりにくいものとなってしまっていますが、実際の内容を鑑みますと、『外国文化の最前線で活躍するカタカナの役割』

というと、わかりやすいとおもいます。

 

それでは、わたしの考えたおすすめポイントを書いていきたいと思います。

 日本語と外国文化の定着

 外国文化を受容すると聞くと、近代以降、明治時代くらいからを想像する方も多いかと思いますが、この本では、古く奈良時代から日本文化と外国語との出会いについて考察されています。

 日本と外国語が出会い、溶け込む過程において重要となるのは、日本語自体の「進化」です。万葉仮名→ひらがな→カタカナといった風に、日本語をいかに表すかは、時代ごとに変化しています。また、ひらがなを用いいるか、カタカナを用いるかは、文化や人々の心情を表現する際に非常に重要です。

 こうした日本語の発展、カタカナの発明を経て、カタカナは、外国語の発音を日本人の発音に落とし込む機能を有するものになっていきます。

 『カタカナの正体』では、和歌、宗教、政策などの事例から、カタカナの役割、そして日本に外国文化が根付く過程について考察されています。

 〈カタカナ〉とは、すなわち、「生」の外国語の発音を可能な限り日本語として写し、外国の文化を我が国に移植するための小さな「種」のようなものではないだろうか。(203頁)

と、カタカナの機能をみています。

 

 信仰と言葉の関係

 この本で、わたしが非常に興味深かったののは、宗教と言語の問題でした。この本では、空海、最澄、円仁などの高僧が、日本語と中国語、そしてサンスクリット語と出会い、信仰の確立、学問的な求道心を深めながら、外国語を吸収していった様子が描かれています。

 例えば、円仁(慈覚大師 794-864)が中国に渡り、サンスクリット語を学んだことで、サンスクリット語の発音を万葉仮名を利用しつつ、当時の日本語の音と比較しました。それにより、より多くの人に、真言(仏・菩薩などの真実の言葉)を唱えて仏との一体感を覚え、心の平安を得る教えを広めようとしました。

 こうした宗教と言葉、「カタカナ」の出会いは、仏教に限定されたものではありません。例えば、16世紀に日本を訪れたイエズス会、フランシスコ・ザビエルも「カタカナ」を信仰の中で利用した人物であったのです。それは、神を表す言葉でした。当初は、「大日」と読んでいたのですが、のちに「デウス」と呼称を改めたのです。

 この本の3分の2は、信仰や宗教と深く関係する内容となっているので「宗教と言葉」の関係性について学ぶことができます。

 

 

 海外の言葉を学ぶこと、それは、英語を英語として学ぶだけでなく、その外国語を如何に日本文化として吸収するのか、という問題が孕んでいることを気づかせてくれた非常に面白い本でした。

 外国語と日本語の関係性に興味がある方は、ぜひ一読していただきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

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