オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

台湾の芸術と歴史を考える場所:宝蔵巖・Treasure Hill

台湾観光といったら、日本人のみなさんは、頭に浮かぶのは何でしょうか?
…千と千尋の神隠しのモデルの一つと言われた「九份」、グルメを堪能する「士林夜市」、それともショッピングモールの「台北101」でしょうか。

 

 ここで紹介したいのは、上記する王道的なルートではなく、自分のお気に入りスポット、「宝蔵巖」です!

 

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宝蔵巖の全景

 

地名に「巖」という文字がついていますが、ひと気のない山奥ではなく、普通に地下鉄で行けるところです!!!

まずは、台北の地下鉄(MRT、捷運)の緑線(G)に乗って、「公館駅」で降りて、1番出口から出た後、徒歩10分ぐらいにいけます。

「公館駅」の近くには台湾大学があり、学生が多いので、飲食や洋服などのお店も多く、非常に賑やかです!!
ただし、宝蔵巖に向かう際に、道標はあると思いますが、歩いているうちに段々周りが静かになってきて、一瞬「あれ、このまま前に進むのは本当に大丈夫なの?」と思うかもしれません……

安心してください、大丈夫です!(多分、多分、多分……)

 

 

⦿現在の宝蔵巖の雰囲気

 

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正式的に宝蔵巖に入る前、道の壁にはイラストが描かれています。

 

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宝蔵巖に入る際に、まず「お寺」が見えます。

 

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「お寺」でお参りした後、通り過ぎたら、丘沿いにびっしり建てられた建物が見えます。その建築の一部は民家ですが、「宝蔵巖国際芸術村」の成立によって、芸術家達のワークショップに改装されましたものもあります。

 

 

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全体的な雰囲気というと、「整備された廃墟」、もしくは「野外の美術館」(?)の感じです。小洒落た写真が撮れます!

寂しい空間でありながら程よく整備されました。そして、芸術家たちもデコレーションをしまして、違う部屋に違う雰囲気が見えます。

 

 

⦿宝蔵巖の歴史

 このような独特な雰囲気がどのように形成しましたが、まずはその歴史の発展を振り返りたいと思います。

 この区域の中に、一番の「古参」は、最初に入るときみた「お寺」です。

 宝蔵巖の「巖」の意味も、宗教施設に由来したものです。方言(閩南語)において「〇〇巖」とは「お寺」の意味があります。川沿いの石壁に位置し、中の主祭神仏は観音菩薩が祀られましため、宝蔵巖はまた「石壁潭寺」、「観音亭」と称されました。

 建立時期と経緯には諸説ありますが、大抵17、18世紀の間に建てられたと言われています(もちろん、この後は何回も廃寺や修復が繰り返します)。その建立に関して、地元の有力者「郭治亨」という人が、寺院を建立するために土地を提供しました(ただし、郭治亨は一体誰なのか、男性か女性か、またまた諸説あります…)。

 日本の植民地時代になると、宝蔵巖は最初日本仏教の真宗大谷派に加入し、その後曹洞宗の管下に入れられ、「宝蔵寺」に改名しました。

 1930年代、第二次大戦が勃発し、宝蔵巖とその周辺は軍隊用地になりました。日本の兵士が駐在しまして、弾薬を貯蔵する施設なども建てられました。
 戦後、日本の軍隊が撤退しましたが、軍事用地としての機能は台湾の政府に引き継がれ、軍隊と共に、中国から来た軍人達の宿舎にもなりました。1950年代まで、軍事用地だったため、出入りの規制が厳しく取り締まられていたのですが、1960年代以降、規制が解除されました。それと共にそのまま宝蔵巖に家をたて、住み始める軍人とその家族が数多くいました。
 1970、1980年代になると、違法建築が大量に増殖し、軍人とその家族以外、安い家賃に惹かれた大学生、地方上京して仕事する人々など、山に沿って、びっしりと家屋が建てられました。
ところが、その後都市開発が進み、政府は違法建築を取り壊そうとして、公園に変更する予定がありました。1993年に政策が公表され、住民の移動を促しましたが、住民側からの反発は強かったようです。そして、反対者は住民のみならず、民間団体、大学教員・学生などからの意見も数多く寄せられ、一連の反対運動が度々当時の新聞に取り上げられました。
 2000年代、長年の紛争の最後、政府側は政策の方針を転換し、遺跡の修復と保存という方向性に切り替えました。そのため、独特な風貌を持つ建築が残され、今のような芸術家達のワークショップとして使用された「宝蔵巖国際芸術村」の成立もこの時期の方針です。

 歴史が重ね合ってこのような雰囲気が成り立っていました……

 

 また、ワークショップを開いた芸術家以外、宝蔵巖もスケッチの好きな人々や画家さんの好きなスポットでした。

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 知り合いに頼みました、当時の野外スケッチのイベントの写真を載せて頂きました。

 

台湾に観光旅行の際に、ぜひ宝蔵巖によってください!

  

anan (アンアン) 2017/04/12[歩く、台湾。]

anan (アンアン) 2017/04/12[歩く、台湾。]

 
ことりっぷ 海外版 台北

ことりっぷ 海外版 台北

 

 

 

参考文献

闞正宗、2004、『臺灣佛寺的信仰與文化』、博揚文化出版。

李佳臻、2016、「反思台北市文化政策與文化公共領域─寶藏巖議題的突破與困境(1980年─2016年)」 国立台湾芸術大学修士論文