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オニテンの読書会

思ったことを綴っていこうと思います。

そんなに体育会系が嫌いですか?

 わたしは、中学、高校、大学と、部活をしてきました。すべて、県内や、関東で強豪校といわれるレベルの学校で、レギュラーを任され、全国大会にも数回出場できました。現在でも、母校でコーチを務めています。わたしは、おそらく「体育会系」とカテゴライズされる人間であるとおもいます。(自分では、そう思いません。自分自身は、文化系だとおもっています。)

 しかし、わたし自身は、アニメも好きですし、勉強も嫌いではありません。いわゆる「体育会系」の中では、だいぶ「文化系」だと、思いますが、声は大きいです。

 そんな、わたしの人生で、最近驚いたことがあります。それは、ブログを始めることになり、ブログ作りの参考にしようと、さまざまなインターネットサイトを閲覧してみた時でした。そこに現れたのは、いわゆる「体育会系」への罵詈雑言でした。

 わたしとしては、「なるほど。こういう考え方があるのか!」と驚き、納得することもありましたが、少し悲しい気持ちになったことも事実です。

 インターネットの世界では、わたしのような人間は、少数派なのだと思いますし、共感されない方も多くいらっしゃると思いますが、思うところを書かせていただきたいとおもいます。

 

《目次》

 

「体育会系」・スポーツ批判について

 体育会系の《独特な》コミュニケーションについての批判、不満がみられます。つまりは、「上のいうことを素直によく聞く、逆らわない」というものです。ただ、わたしが、この批判について、疑問に思うことがあります。それは、「みなさんは、上の言うことを素直に聞かず、逆らうのでしょうか?」という素朴な疑問です。盲目的な服従が、良くないことであるのは自明のことですし、ブラック企業の問題にも通ずる精神性がそこにあるのも事実しょう。

 しかし、上下関係のない組織で、競争のない組織で、「結果」が生まれるのかは、疑問ですし、年長者を敬わないというのも良いことなのでしょうか?

 程度の問題なのだと思いますが、現代の教育制度において、ある程度の上下関係や、努力が報われないことがあるという不条理、理不尽の存在を知る場に、部活動がなっていると思います。教室での先生との触れ合いは、いつしか馴れ合いに変わってしまいますし、核家族化の進んだ現代においては、親族でも年長者と会う機会は減り、親族以外の年配の方とお話しすることもないでしょう。

 また、体育会における上下関係の重要性について、看過してはならないのは、基本的に、スポーツの強い子は「生意気」だということです。まず、いうことを聞きませんし、自分より弱い先輩は、見下されます。そうした組織における救済措置としても、上下関係が機能している場合も多々あるのです。

 わたしの考えですが、日本においては、実力社会であればあるほど、上下関係を厳しくしている感があります。お笑い芸人さんの世界もそうですし、研究者の世界でもそうした上下関係が機能しています。それは、増上慢を諫め、謙虚になることを促しているのかもしれません。

 

消えた文武両道教育についてーいま「勉強」も「部活」も足りないー

 わたしは、スポーツだけできる子も評価したいと思いませんし、勉強だけができる子も評価されるべきではないと考えています。どちらも出来て、一人前だと思っていますし、それを出来る人は、そういません。かく言うわたしも、出来ませんでした。

 しかし、自分の母校の生徒には、スポーツだけが強くても意味がない、と伝えています。

 ある高学歴の有名人の方が「スポーツできなくても、お金が稼げる」とおっしゃていましたが、「スポーツできても、お金が稼げるんじゃないか」とも、思いました。これと同様に、「勉強できなくても、〇〇出来る」というのがありますが、それも、vice versaです。こう言うことを言っている人は、たいてい、勉強もスポーツも関係ない分野で、お金を稼いでいるセンスのある人です!!センスが抜群の方々なので、こうした人の意見を鵜呑みにするのも危険なのではないか、と思ってしまいます。

 最近、勉強だけができる子が逆学歴差別されているとの記事もありました。もちろん、勉強ができることは素晴らしいことです。が、ただの一つの長所であるだけなので、そこを誇るのも面白みがないとも思います。

 わたし自身の経験から言えることは、スポーツだけの子は、「勉強なんかやっているやつは。。。」と、勉強している子を見下しますし、勉強だけできる子は、スポーツをしている子を「脳筋」と馬鹿にします。そこには、互いの尊敬の念がないのです。

 わたしとしては、勉強も部活も頑張って、どちらも失敗や挫折を経験することが、人生の視野を広げてくれるのではないのかなぁ、と思っています。

 わたしは、その人の人間性を考えるときには、

 「その人 ー (その人が頑張ったこと)=その人の人間性 」

 であると考えています。

 例えば、サッカーの本田圭佑選手であれば、彼から、サッカーを引いたところに彼の人間性があるのではないか、と思います。本田選手の場合、そこには、イタリア語や英語を操る語学力、ファッションセンスなどが残るかもしれません。

 職人、スポーツ選手、研究者といった一意専心の世界においても、一つのことに打ち込めば打ち込むほどに、するべきことは増えていくのだと思います。

 そうした人間的な幅を自覚するために、学校という勉学の場に、部活動があるのではないか、と思うのです。

 部活動だけでなく、マンガを描いたり、楽器を練習したり、放課後には、たくさんの夢が詰まっていると思います。子ども達が、有意義な放課後を過ごし、すこしでも互いのことを思いやれるようになることを祈ります。

 そこには、「体育会系」や「文化系」という安易なカテゴライズを脱するような人間性を持った子ども達が増えることが重要なのではないかと思うのです。

 

 

【参考】

かわいいイラストで、「体育会系」を表してくれています。実際は、そんなに、かわいい感じの男の子は、いませんw 

dic.pixiv.net

 

 面白そうな本ですね。ただ、ブラックバイト=体育会系経済とされると、高校や大学で体育会の部活動に入部する学生が減ってしまうので、やめて欲しいのが、正直な意見です。

ブラックバイト 増補版: 体育会系経済が日本を滅ぼす

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体育会力―自立した「個」を育てる

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こうして本のタイトルだけでも、「体育会系」の語が両義的であるとわかります。

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