オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

「初恋尺度」を伝えたい。 時の流れの故郷へ

 わたしの中にある「初恋尺度」について書いてみたいと思います。わたしが、暇な時(基本暇ですが)に、楽しんだ脳内会議の一部です。

 

 「初恋尺度」とは、「初恋の人が、〇〇していたら、どう思うか」というものです。一見くだらないように思える初恋尺度ですが、わたしにとっては異性と接する際の重要な感覚となっている気がするのです。

 

初恋の女性がサンバしていたら

 たとえば、「初恋の女性が、サンバダンサーになっていて、浅草サンバカーニバルに出ていた。」とします。

 わたし自身は、サンバダンサーの方と、お付き合いしたり、結婚することは嫌ではない(むしろ、したい。)ですし、妻が始めたいといえば、やってみたら、と言うでしょう。しかし、初恋の女性となると、話は別になるのです。

 「初恋の女性が、サンバしてたら嫌だなぁ。」と思う自分がいるのです。「ハロウィンでコスプレしてたら嫌だなぁ」とも思います。理由はわかりません。しかし、嫌なのです。この不思議な感覚を、お伝えしたい! というか、おわかりになるでしょうか?

 妻や彼女には抱かない感情が、初恋の女性にはあるのです。

 犯罪などは、妻でも彼女でも、嫌な感情を抱くことになるのでしょう。妻や彼女に抱かない感情が初恋の女性にはある、もしくは、初恋の女性だけには、して欲しくない/して欲しい行為がある、といえるのです。

 犯罪やマナー違反は、妻や彼女でなくても、して欲しくないですし、そもそも人間としてダメですよね。この「初恋尺度」は、一般的にしても構わないことが、初恋の人がするとなると、ヤダ!となるものです。

 初恋というものは、呪いのようなもので、その後の人生を大きく左右するだなぁと、感慨にふけってしまうのです。もうすでに、初恋に敗れて、15年、そろそろこの「呪い」が解けてきても良い気がしますが。。。初恋という呪いは、いまでもわたしを縛り付けているのです。

 

初恋の人は、聖女か? いや、ちがう!!

 この初恋の人を基準においたこの「初恋尺度」ですが、自分では「初恋の人を聖女化しているのではないか」と考えをめぐらしてみるんですが、どうもそうではないのです。わたしの初恋の女性は、ほがらかで、ときには、べらんめぇ口調になる、ガタイの良い子だったので(アマゾネスではないです)、聖女というイメージはありません。

 初恋の女性を聖女化して、神聖なものとして大切に大切に、思い出としてしまっている方もいらっしゃるとは、思うのですが、わたしは違うようです。

 じつは、初恋の女性自身に基準があるのではなく、問題とする行為が重要なのではないか?と思うのです。

 例えば、電車の中で老人に席を譲らない、という行為をみたらどうするか?

 妻であれば、注意するでしょうし、言えるとおもいます。ただ、初恋の人が、譲っていなかったらどうしますか? おそらく、「〇〇って変わっちゃったな」とひとりごちて、窓からみえる移りゆく街並みに、時の流れを思うことになるのです。

 ここに大きなヒントがあるように思います。キーワードは、「時の流れ」ではないでしょうか。

 

時の流れに身をまかせ 初恋に、変わりゆく故郷を思う

 この「時の流れ」と昔の初恋の人の姿のギャップのなかに「初恋尺度」はあるようです。ただ、重要なのは、その流れの中で、自分はどこにいるのかということです。

 上流でしょうか?下流でしょうか?それとも、一緒に流されているのでしょうか?上流にいると考えている、つまりは、とり残されていると感じているひとが、この「初恋尺度」を強くもっているのではないかと思います。

 この「初恋尺度」は、かわりゆく故郷を見て、「街が変わってしまったなぁ」と思う感覚にすごく似ていると思うのです。わたしにとって、初恋とは、故郷の街並みに結びついたノスタルジーと、そのノスタルジーを破壊しようとする時間の流れの狭間にあるのだろうと思いました。

 

  

時の流れに身をまかせ

時の流れに身をまかせ

 

 

 

 

 

 

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