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オニテンの読書会

思ったことを綴っていこうと思います。

SNSごとの人格、わたしの反省

 みなさんは、何種類のSNSを使い分けていらっしゃっていますでしょうか。わたしは、Facebook、Twitter、そしてInstagramを使っています。SNSを使っている中で、自分の人格が切り替わっているのを感じています。みなさんは、どうですか?

 わたしは、32歳のおじさんです。わたし自身の体験と、反省を込めて書きたいとおもいます。

 

Facebookのわたし まさに「デキるおじさん」演出、若干のマイルド感?

 とりあえず、外向きです。どちらかというと、真面目に何かを取り組んでいることをアピールしてしまっています。

 「わたし、こんな面があるんですよ」という、自己演出をしながらも、仕事が着実に進んでいることの表現を付け加えています。そして、「休日は、家族と楽しくすごしていることも忘れていません」と、言わんばかりに、家族の写真や友人の写真を添えます。

 このSNS空間では、スポーツを楽しんでいたこと、厳しい部活を経て、達成した思い出を書く方も多く、スポーツマン演出もしてしまっています。友達は、中高大の友人が中心です。彼らとの連絡をとるのに、Facebookは、役に立っています。ですので、「仲間もたいせつにしているよ」演出も、知らず知らずにしてしまっているように思うのです。

 また、何か社会問題がおきれば、感じたことや考えたことを、真面目に論じてしまう、言説空間にもなります。「ちゃんと、社会のことを考えてますよ」という、アピールをしてしまっているようにも感じます。

 こうしたFacebookでのわたしは、実年齢の32歳より少し、大人な感じ、地元のつながりをたいせつにしているような自己演出してしまっているようにも感じています。

Twitterのわたし 不満とオタクの楽園?

 わたしは、普段は、基本ポジティブで、明るい性格なのですが、ときどきTwitterでは、凶暴になってしまいます。Twitterには、多くの不満があふれています。有名な学者さんたちや、作家さんたちも、喧嘩ツイートしたりしています。Twitterって、不満の巣窟なのではないかな、なんて考えてしまいます。

 Twitterでは、アニメやラジオなどの情報が、よくトレンドに上がります。また、甲子園や部活動の問題などは、かなりネガティブなツイートをしている人が多いため、わたしは、できるだけ、自分が強烈な体育会で育った人間であることは隠し、オタク的なツイート(わたしが思う)に終始することにしています。このSNS空間では、上下関係や厳しい練習に耐えたことをネガティブに考える人が多いようなので、気を使ってツイートしている自分に気がつきました。

 趣味の情報共有や、気づいたことをツイートしていたのですが、誰かを傷つけてしまうのではないかと思い、ほとんど使わなくなってきました。

 

Instagramのわたし 「素敵な」わたしの趣味空間 パリピなわたし

 最近、Instagramを始めたのですが、まず、Instagramを使っている皆さんのフランクさに驚きました。写真をあげれば、コメントを見ず知らずの人が残してくれる。嬉しくもあり、すこし恥ずかしくもあります。わたしは、読んだ本や、趣味のカメラで撮った写真をあげているのですが、気軽にイイねを押していただけているようです。いまInstagramを使う若者がほとんど、という話をききましたが、理由がわかった気がします。

 Instagramは、写真を載せなくてはコメントができないというというシステムが良い方向に向かっているようにも思いますし、若干の強迫観念も感じます。つねに、「証拠を見せろ」とせがまれているようで、楽しかった思い出は、より楽しく、美しい風景は、より美しい写真を添えなくてはなりません。

 ですので、イェーイな感じの人は、相当なイェーイを見せなくてはなりません。これは、かなりのプレッシャーではないでしょうか。多くの方達が、素敵な写真をとるのに苦労し、時間をかけ、投稿されていると思います。

 気軽なようで、気軽でない、それがInstagramなのかもしれません。

 

 以上のように、SNSを使いながら、考えた自分の人格変容をまとめてみました。SNSによって、簡単に思ったことを発信することができるようになったのですが、みんなが参加し傍観しているSNS空間では、むしろ現実社会に陸続きの息苦しさもあるように感じています。

 SNSごとに切り替える人格、みなさんも経験があるのではないでしょうか。

 

 

 

 

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