オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

なぜ、「魔女」は狩られたのか? 悪魔と異端と魔女狩りの近世

「魔女」と聞くと、多くの日本人が『魔女の宅急便』のキキの姿を想像されるのではないでしょうか。黒い服をまとい、箒を持ち、隣には黒猫がいる、あの姿です。

 

「なぜ、「魔女」は狩られたのか? 悪魔と魔女と異端の近世」

 

はじめに

 「魔女がなぜ狩られたのか」と問われ、「魔女は異端だから」と答えるは、簡単でしょう。しかし、なぜ異端であるのか、そして異端を狩る必然はなぜ生まれたのかを答えるのは難しいのではないでしょうか。そもそも、「異端」は教会が創造し たカテゴリーであり、本質的に聖職者の言説世界に属するものです。いいかえれば、「異端」とは教会によって与えられたスティグマ(烙印)であり、そのように名づけられたときに初めてその存在が始まるのです。聖職者が、魔女の存在を、神学上に異端と決する理論の構築が、必要になります。

 魔女狩りは、「暗黒の中世」に流行したように書かれるものが多いですが、実は、宗教改革以後の近世に行われた事例が多いのです。では、なぜ近世ヨーロッパなのでしょうか?。

 ここでは、近世ヨーロッパにおける魔女のあり方、魔女が「狩られる」ようになった経緯について書いていきたいと思います。

 

1. 魔女とは、妖怪? おばあちゃん? 悪魔は、神学 魔女は、民俗

 まず、魔女とは何かを考えていきましょう。魔女狩りが行われた時に、魔女は実在したのです。それは実際に日々の生活を営む女性であり、彼女たちは、悪魔とつながりを持ったとの嫌疑をかけられ、刑に処されたのです。その数は、近世で10万人を超えるとの報告がされています。彼女たちの多くは、年老いた女性でした。

 魔女狩りを行われる理由は、魔女が与えた災厄、というよりも、「悪魔とつながりをもったこと」による、キリストへの不敬に対してです。魔女とされた女性たちは、単なる噂や、牛乳を盗んだなどの、いまで考えれば軽犯罪でも、重い刑に処されました。

 

 では、魔女と悪魔との対比から、魔女の特徴をみてみましょう。

 「悪魔」とは、キリスト神学上では、堕天使(自ら堕ちた天使)であり、非物質であって、本来なら形もないのです。天使も、悪魔も教会に飾られるような宗教画には、その姿が描かれていますが、それはあくまでもイメージで、近世までの神学では誤った解釈になるのです。

 悪魔の姿は、雄山羊であったり、マントを羽織った男性の姿で描かれます。そして、神出鬼没、どこからともなく現れるイメージです。

 悪魔…男性、おじさん、住所不定無職、明らかに変な格好

 

 それに対し、魔女のイメージは、どうでしょうか? 魔女はおとぎ話にも多く登場します。良い魔女もいれば、悪い魔女もいて、禍福ををもたらす存在として描かれます。

魔女の生業は、占いであったり、薬草作りであったりします。彼女たちは、キリスト教学の零れ落ちた部分、地域の民俗信仰を担う存在であったのです。

 魔女は、しっかりと着実に生活している女性になります。そして、「生活している女性」というイメージは、魔女が一般女性の中に潜んでおり、外見上見分けがつかない、という魔女裁判で普通の女性が標的になったことにつながるのです。

 魔女…女性、おばさん、住所あり職業あり、普通に生活している

 

 先ほど言及した、神学上の「悪魔」という概念と、民俗信仰を担う魔女の存在が、キリスト教会によって結び付けられて考えられるようになるには、近世を待つことになります。

 

 

 

⒉ 中世の異端弾圧、近世の混沌 → 魔女狩り

 近世になるまで、魔女は弾圧されるような対象ではなく、ゆるやかに地域社会に受け入れられていました。魔女が狩りの対象になるまでには、異端に対する弾圧の一般化、そして「悪魔とつながりを持つ女性」のイメージの流布が大きな要因となりました。

 

 ○中世における異端弾圧の流れ 異端アルビ派、 異端審問を司る修道会 

 13世紀にローマ教皇の権威は絶頂期をむかえました。それに先立って、南フランスに広まっていたアルビ派(カタリ派)が異端宣告されたのです。アルビ派(カタリ派)は、この世の富を否定して清貧を尊んだ一派です。その存在が、強大になっていく教皇権にとっては、異を唱える存在に捉えられてしまったのです。

 中世の待っただなこの時代、異端撲滅は、教会の使命でした。異端審問を制度化し、審問官養成所ともいうべき修道会が、1216年、聖ドミニクスによって創設されました。それが、ドミニコ修道会です。

 13世紀初頭、絶頂期の教皇、インノケンティウス三世は、1209年、アルビ派(カタリ派)の討伐を開始、アルビジョア十字軍と言われる、この軍の討伐は、1229年まで、続くのです。

 この異端に対する迫害の中で、悪魔と異端が結びついていきます。

 異端審問と異端軍を託されたドミニコ会修道士マールブルクのコンラートは、 異端者たちによる悪魔崇拝の集会の物語を流布し、迫害を正当化しました。それは教皇グレゴリウス 9 世の教勅 に採用され、中世後期における異端審問官のイマジネールを決定づけルことになります。彼の時代のドイツ語では猫は kate あるいは kater であったのであり、cathari との音声的な類似からラインラントではすでに早くから「カタリ派」=「猫」の連想がありました。1230 年代のラインラントにおける異端迫害に際して、こ の間に起きた異端の悪魔化の過程は「カタリ派」=「猫」=「悪魔」という観念連合が生まれます。※魔女と猫のイメージにもつながりますね。

 そして、14 世 紀前半にベルナール・ギイは『異端審問提要』において、「魔術師、占い 師、悪霊祈願をする者」をターゲットに挙げるのです。論争による逸脱者の世界との対決に代わって、「言語に絶するも の」(悪魔崇拝)を告白させる異端審問の時代の到来でした。

 15世紀になると、ドミニコ会修道士が魔女を嗅ぎ出すため、審問官として国々を回ります。魔女の嫌疑をかけられた人に対する尋問は、審問裁判所で行われ、自白した犯人の処罰は世俗裁判所に委ねられました。

 

 ○失敗から生まれた『魔女の鉄槌』

 しかし、ドミニコ会の修道士の活動が、上手くいかないこともありました。1484年から1485年のインスブルックを例に出しますと、ドミニコ会士ハインリッヒ・インスティトーリスが、魔女裁判をしようとしたのですが、失敗したのです。魔女の嫌疑がかかった女性7人に対し、魔女裁判を開廷しようとしたのですが、弁護人や司教によって、手続きの不備を立証され、訴訟が中止となってしまいました。これにより、インスティトーリスは、国外退去を命じられます。しかし、彼は、ただでは起きません。彼は、自分の正当性を主張するために『魔女の鉄槌』をしるしました。

 この本の中で、彼は、教父や神学者の言論や聖書の中に現れる女性蔑視や女性への誹謗する言葉を集めて、魔女術へと走る女性の傾向を説明しようとしました。ここで、民間に伝わる魔術信仰と、女性の原罪に関する神学上の理論が結びつけられるのです。※女性の現在とは、「人類の堕落はイヴに始まる」旧約聖書の第二聖典「シラ書」には、「罪は女からはじまった」とあります。

 『魔女の鉄槌』は、1487年に初版が出版され、17世紀まで、増刷し続けられました。

 

 ○近世、魔女狩りの最盛期 

 魔女狩りの最盛期は、宗教改革後でありました。この時代には、いままで政党とされてきたものに対する批判から、プロテスタントが生まれ、プロテスタントの中でも、教義を異にする派閥同士が異端と非難し合う状況でした。人々の価値観は、揺らいでいたのです。そんな時代に、魔女狩りは最盛期を迎えます。自分たちの正統性を見せるには、異端をだすことも有用な手段とされたのです。

 魔女狩りの対象となった女性や、魔女裁判の様子は、15世紀後半になって発明された印刷術、木版印刷と銅板印刷によって、絵や新聞となって、各地に広まります。このメディアの発明も、魔女狩りを急速に広めた要因となっているのです。

 

⒊魔女による災厄 魔女術の正体

 最後に魔女がいかなる活動をしていると考えられてきたのかを見てみましょう。

 魔女裁判にかけられた女性たちは、(やってもいないことを)自白していきました。その自白の内容は、各地に伝わっていた伝承や、おとぎ話が元になっていましたし、尋問する人々もそうした古くからある伝承から魔女であるかの嫌疑をかけていたのです。

 つまりは、「物語のキャラクターを、現実化する」ことであったのです。

 妖怪や山姥などのキャラクターが、実際の女性になったのでした。 

 

ここでは、主な魔女術についてみていきます。 

 ○牛乳魔女

 牛乳を盗む魔女術は、とても一般的なものでした。これは、他人の飼っている乳牛から牛乳を盗むというものです。たとえば、Aさんの家の乳牛の搾乳の調子が良くない、隣の家のBさんの家の乳牛は絶好調である、これは、Bさんが牛乳魔術を使い牛乳を盗んだに違いない! というものです。

 

 ○天候魔女

 牛乳魔術が個人の魔女によるものであるのに対し、天候魔術は、集団によるものです。天候魔術は、雹が降ったり、遅霜がおきたるなどの天候の異変を魔女がおこなったものと考えたものです。

 天候に影響を与える儀式は、呪術的キリスト教儀式にもみられるものでしたが、これらの儀式が豊穣を目的としたものであるのに対して、天候魔女がおこなう儀礼は、人々の農園や畑に損害を与えるものと考えられました。

 

 ○病気や死を呼ぶ魔女

 今日でも、ぎっくり腰をドイツ語で「魔女の一撃」(へクセンシュス)と言いますね。魔女は、手足に病気の矢を射ると言われていました。このように、魔女は、人々に病をもたらす魔術を持っていると考えられていました。

 また、魔女が作り出す薬も、人々を衰弱させる力があると考えられていたのです。この魔術は、物質の調合に関する呪術の知識や素材の知識、および害悪をもたらす力を物質に注ぎ込む魔術の呪文や儀式についての知識から成り立っていました。

 

 ○子どもを食べる魔女

 『魔女の鉄槌』では、子どもを食べる魔女として、産婆をあげています。産婆は、洗礼前の新生児を悪魔に手渡し、殺した子どもから軟膏をつくり、その上、子供を食べると考えれた。

 産婆が魔女の嫌疑をかけられた理由として、彼女たちがおこなっていた堕胎がある。キリスト教会は、堕胎を許可しておらず、堕胎をおこなう産婆は魔女と考えられてしまっていました。※日本でも、産婆を妖怪化したトリアゲバという妖怪がいますね。

 

 

 こうした魔女の姿は、女性の生業・役割と密接に関連していました。牛乳魔女では、乳牛の管理やバターを作成するのは、女性の役割でした。牛乳の出が悪い、隣の人の乳牛の出が良いという状況は、共同体における富の不均衡に直結する問題でした。

 天候魔女も同様です。元来、天候に影響を与える儀式を担っていたのは女性であり、悪天候をもたらす者も、女性と考えれました。悪天候が続けば、経済的な損害を生み出すことになり、共同体の中での解決策を模索することになります。その存在が、魔女でした。

 ヨーロッパの魔女裁判は、18世紀まで続きます。

  西ヨーロッパのスイスでは1782年に、ヨーロッパ全体では、ポーランドで1793年に最後の魔女裁判がおこなわれました。

 

 

 【主な参考文献】

 

魔女とほうきと黒い猫 (角川ソフィア文庫)

魔女とほうきと黒い猫 (角川ソフィア文庫)

 

 

 

魔女にされた女性たち―近世初期ドイツにおける魔女裁判

魔女にされた女性たち―近世初期ドイツにおける魔女裁判

  • 作者: イングリットアーレント=シュルテ,Ingrid Ahrendt‐Schulte,野口芳子,小山真理子
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 単行本
  • クリック: 2回
  • この商品を含むブログ (2件) を見る
 

 

異端の創出については、

小田内隆 2015 「カタリ派」異端の創造をめぐって : 系譜から構築へ」立命館文學 = The journal of cultural sciences (643), 72-52, 2015-07  立命館大学人文学会

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/643/643PDF/odauchi.pdf

 を参考にさせていただきました。

 

 

Ads