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オニテンの読書会

思ったことを綴っていこうと思います。

「この世界の片隅に」でみた、非共感の世界の素晴らしさ

 「この世界の片隅に」は、世紀に残る名作だと思います。この作品で、描かれている世界観、共同体のあり方について少し思ったことがありました。

 それは、この映画のキャラクターが、「自分の見える範囲にしか共感していない」ということです。言い換えれば、「見えている世界」が、彼女たちの世界なのです。考えてみれば、戦争ドラマや映画でありがちな、ラジオや新聞の誇張された報道(大本営発表)などは、描かれていません。

 たとえば、主人公のすずの、お兄ちゃんが戦争に行っても、幼馴染の哲さんが戦っている時も、彼女は、「いま〇〇が戦っているから、、我慢する」と過度に共感的にはなりません。心配するほどの余裕がない状態であるからとも考えられますが、それでも彼女は目の前の世界を楽しく過ごそうと努めています。

 こうした映画で、描かれた彼女たちの世界観を「非共感型の世界」と考えたいとおもいます。この言葉は、けっして悪い意味では、ありません。理由は、下記に記します。

 

 

 最近、ジャーナリストの方が、ラジオ放送で、「最近の若者は共感する力がない。戦争していないと言っているが、世界中で戦争しているじゃないか。もっと共感しないと」とおっしゃっていました。確かに、共感は、プラスの効果を持つものであるかもしれません。しかし、マイナスの面もあるのです。

 20世紀初頭、アメリカで過激化したKKK(クークラックスクラン)の大規模な暴動が起きた場所は、黒人が住民に占める割合が10%に満たない場所でした。彼らは、遠方で起きた、黒人たちへの迫害行為に共感し、暴動を起こすに至ったのです。

 また、現代においても、ドイツで2014年に起きたイスラームのモスクの破壊行為や、アンチムスリムムーブメントも同様に、ムスリムが人口の2%に満たない場所で行われていたのです。

 彼らは、遠方で起きた事件を過度に恐れ、見えない敵と戦うことになったのです。

 このような敵意は、新聞やメディアなどから生み出されたものであることは、間違いのないものです。彼らは、自分の見たことのない世界の話を、見たことないからこそ自由に想像し、そして変形させるのです。

 

 「この世界の片隅に」の話に戻りましょう。すずさんは、自分のみたこと、その感性を信じています。たとえば、娼館で出会ったリンさんと交友を持つシーンは、彼女の人間性を表しているものでしょう。彼女は、その人の地位や身分では、動きません。何よりも、自分の尺度を持っているのです。

 いま、ワイドショーでは、知らなくていいことで、怒ったり、嘆いたりしています。確かに、事実を知ることは、良いことです。シリア難民の問題なども、重要な問題であることは、間違いないことでしょう。しかし、その事実に、感情を乗せることには違和感があります。事実に即し、救援や保護のへと動けば良いのではないでしょうか。

 なぜ、現代の情報は、こんなにも感情が付随しているのだろう、と気づけば、ニュースやワイドショーを見ることが、億劫になってしまいました。

 そんな自分にとって、「この世界の片隅に」の登場人物の日々の過ごし方は、非常に素敵なものに見えました。

 

 

 

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