オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

プチ鹿島『教養としてのプロレス』から、『私にとっての剣道』  思索する読書へ③

 プチ鹿島さんの著書『教養としてのプロレス』は、名著だと思う。なぜなら、彼自身の思い出と反省が、「プロレス」という単語に集約されているからだ。

 

 『教養としてのプロレス』の内容は、以下の通りです。

「プロレスを見ることは、生きる知恵を学ぶことである」―。著者が30年以上に及ぶプロレス観戦から学びとった人生を歩むための教養を、余すところなく披瀝。今もっとも注目すべき文系芸人による初の新書登場。90年代黄金期の週刊プロレスや、I編集長時代の週刊ファイトなどの“活字プロレス”を存分に浴びた著者による、“プロレス脳”を開花させるための超実践的思想書。『教養としてのプロレス』

 

 プチ鹿島さんは、プロレスから生きる知恵を学んだといいます。物事が常に多面性をもっていること、情報に対してのリテラシーなどを、プロレスに学んだのだと。

 私自身、プロレスには全くと言っていいほど、詳しく無いのですが、少年期から青年期にかけて熱中したものが、その人のモノの捉え方、考え方を左右することは、理解しています。

 プチ鹿島さんにとって、それが、プロレスであるのでしょう。この本では、プロレスの歴史、そしてそれをファンとして、ときに無我夢中に、ときに冷静に傍観したプチ鹿島さん自身の体験が書かれているのです。

 とくに、私の心に残った箇所があります。それは、メガネスーパーがプロレス界に参入し、新団体を旗揚げした際に、プロレス雑誌が「金権プロレス」と糾弾し、メガネスーパーは数年で撤退したのですが、しかし、糾弾した雑誌メディアそのものが他団体から金をもらっていた、というものです。

 メディア自体を疑う目をもつこと、それは、Post-Truth,Post-Factといわれる現在において、最も必要な素養であると思います。

 また、プロレスファンが、B層であるとの指摘は、アメリカにおけるトランプ政権の誕生を予感される内容となっていることも、この本の特徴となっています。

 

 

反知性主義とアメリカ

 トランプ大統領候補の台頭とともに、多くの識者が口にした言葉があります。それは、「反知性主義」という言葉です。アメリカの反知性主義と、日本で使われている反知性主義は少し、意味が違います。

 かなり乱暴に説明しますと、知性を持ち合わせながら、その知性を偏重することに反対するのがアメリカの反知性主義で、日本の反知性主義は「ただのバカ」と読み替えが可能な気がします。

 アメリカの反知性主義の歴史を扱った、森本あんり『反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体』のあとがき、には、興味深いことが書いてあります。

 日本剣道における反・勝利主義について森本先生が言及されているのです。それは、世界剣道大会において、日本が「剣道は勝ち負けではない」と説くには勝ち続けなければならない、というものです。剣道の強さ=知性と擬えて、単なる勝敗にこだわることを否定する、日本剣道のあり方を、「反知性主義」と喩えています。

 

剣道における矛盾

 私は、少年時代から大学まで、すべて体育会で剣道をしていました。関東大会から全国大会と、そこそこ大きな大会に出場させてもらいました。私は、剣道のいちファンであり、プレイヤーだったのですが、そこから多くのことを学びました。

 剣道には勝ち負けに固執することを戒める言葉が多くあります。「勝負に勝って、勝敗に負ける」、「打って反省、打たれて感謝」、「剣道に不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」などです。

 剣道では、たとえ勝利し、試合場から出た後でも、ガッツポーズをすれば、叩かれます。物理的にも、月刊誌的にも。

 しかし、勝つことを目指さない剣道は、見ていて面白みもありませんし、真剣味もなく、勝負がもっている美しさも持ち合わせていないように思います。勝つことを願いながら、それでいて固執しない、という禅問答のような世界、それが剣道なのかもしれません。

 そこには、ある種の「剣道とはこうあるべき」という主義が存在します。しかし、それもまた多面性を持ったものであるのです。

 ある高名な先生は、まっすぐに構え、隙があるまで、動かず、今だっと思ったときには、全てを捨てきる、それが剣道だと言います。

 また、ある高名な先生は、剣道は自由だ、片手で打ってもいいし、足さばきもある程度できていれば、あとは自分がしたいようにしろ、と教えています。

 どちらの先生も、全日本選手権で活躍された方ですが、その「あるべき剣道」観は大きく異なるのです。

 

 大きな問題として、残っているのが、剣道はスポーツかという問いです。多くの方が、「剣道はスポーツではない」と否定していますが、全日本選手権者の伊保清次先生は、「剣道はスポーツである」と肯定しています。

 この問題は、一見単純に見えますが、オリンピック種目化やビデオ判定の導入などの考慮する際の根底にあるものであると考えられます。(私自身は、オリンピック種目にもなって欲しく無いし、審判は不合理・不条理で良いよ、と考えています。)

 

 剣道は、複雑である。そして、よくわからないから魅力がある、そんなことを『教養としてのプロレス』を読み、考え、思い出しました。

 

 

 

 教養としてのプロレスは、分析哲学としてプロレスだな、と思いました。

教養としてのプロレス (双葉文庫)

教養としてのプロレス (双葉文庫)

 

 

 2015年、読んでよかった本ナンバーワンでした。

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

 

 剣道界、最高の名著の一つです。(上段は、絶対に読むべし)

新・剣道上達講座

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