オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

岡潔『春宵十話』から、 「『役に立つ』と私」思索する読書へ② 

 みなさんは、何のために生きていますか?単細胞な私でも、ときどき悩んでしまうくらいなので、多くの方が「生きる」ことに悩んでいるのではないでしょうか。

 私が、落ち込んだ時、思い出す言葉があります。それは、高名な数学者である岡潔さんの言葉です。

私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けば良いのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。

私について言えば、ただ数学を学ぶ喜びを食べていきているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」に他ならない。
(岡潔『春宵十話』)

  こんな素敵な言葉は、そうで会えるものではないと思います。私は、落ち込んだ時、この言葉を思い出しています。

 

 

「役に立つ」という言葉の攻撃性と依存性

 私も、しばしば「そんなことやって何の役に立つの?」と聞かれることがあります。この言葉は、トゲがあります。明らかに、傷つけることを目的とした言葉です。つまり、「役に立つ」という言葉は、攻撃的な部分を持っており、大多数の「役立たず」と分別するための、言葉であるわけです

 そして、何より、他者や、自分の所属する共同体を尺度にしています。そこには、「他者に対して、役に立つ/役立たずな私」が私である、という認識があります。それは、とても危険な状態であると思います。他者からの評価を絶対的に考えてしまうこと、それはとても危険ですし、一面的です。

 こうした「役に立つ私」という認識は、日本にひろく浸透しており、最近では「やりがい搾取」なるものも存在しています。これも、ある種の「役に立つ」ことの喜びを謳い文句に、低賃金で若者を働かすシステムです。

 また、「役に立つ/役立たず」が、多面性を持つものであることも、留意せねばならないでしょう。

 例えば、ショーペンハウアーは『読書について』で、「新聞なんて読んだら、馬鹿になる」と、新聞を辛辣に批判しています。しかし、その新聞によって、ドイツの識字率が著しく向上した事実もあるのです。まず、誰にとって、「役に立つ/役立たず」なのかは、時と場合によって絶えず変化するものです。

 

「役に立つ」の弊害について言及された大隅良典先生

昨年、ノーベル賞を受賞された大隅先生は、

今、科学が役に立つというのが数年後に企業化できることと同義語になっているのは問題。役に立つという言葉がとっても社会を駄目にしている。実際、役に立つのは十年後、百年後かもしれない。

www.tokyo-np.co.jp

 

と、言及されています。これも、競争資金の獲得を目指す時、自身を「役に立つ」とみせ、他を「役立たず」と蹴落とす、現在の研究環境を示唆されています。

 

私を尺度にして生きる

 自分を評価するときに、他者と比べることは、簡単です。見下すことも、憧れることも、実は、自由自在なのかもしれません。ただ、自分にとっての自分を見つけ出すことは、何よりも難しいものです。

 岡潔さんは、自分をスミレと捉え、野原に咲いていると、自分と社会の関係性を説明します。そこには、他者からの評価を歯牙にもかけず、ただ研究に邁進する人間の姿が表されています。

 そんな人間になりたいなぁ、と強く思いました。

 

春宵十話 (角川ソフィア文庫)

春宵十話 (角川ソフィア文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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