オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

「学びがありました」が少し怖い

   「学び」≠ 「学問」? 「学び」≒「共感」?

 最近、気になることがあるのですが、SNSで、「学びがありました」、「学びを得ました」という言葉をよく見ます。セミナーや講習会の用語なんでしょうか。そういう言葉を使う人のSNSでは、楽しげに本を掲げた集合写真をよく見ます。

 どうやら、「学び」は集合的で共有することを目的とした何かであるようです。

 

  そして、読まれている本も、なんだか見たことのない本が多いです。例えば、ビジネスの読書会だとしたら、ドラッガーの『イノベーションと企業家精神』といった原著ではなく、『ドラッガーの〇〇でわかる▼▼』といったようなもので、日本文化についての朝活といっているのに『ほんとはすごい日本の◎◎』という本を読んでいる印象があります。

 おそらく、知識を希釈化し、自分のライフスタイルに適用できるレベルにすること、そしてそれに共感する場に、「学び」はあるようです。

 

 

「学び」とはなんだろう?

 そもそも「学び」ってなんなんでしょうか。

 広辞苑では、「まなび(学び):まなぶこと、学問」とあります。例えば、大学を「学びの場」と説明することに違和感は感じないのです。

 ただ、「多くの学びがありました」だったら「学ぶことが多くありました」の方が自然なのでは、と思います。「勉強になりました」とか、「学びました」では、馬鹿っぽいてことなのでしょうか。
 確かに、「勉強になりました」って、「参りました」に近い感覚のように感じますし、「学びを得ました」だったら、なんだか有難いものを頂いた感じになりますね。
 
「学び」は「救い」か?
 私が思ったのは「学び」=「救い」でも、文章が成り立つのことです。これも面白いことだと思います。例えば、「このセミナーで、救いを得ました」とか、「朝活の読書会に参加。救いがありました」という言葉に置き換えが可能です。
 もしかしたら、宗教心が薄くなった現代の日本において、「知識」が独立し、救済をもたらすものであるように、存在しているのではないでしょうか?
 たしかに『ビジネスの世界を生き抜く、知恵』(仮題)みたいな本は、本当に多いですし、日常生活でバイブル化しています。
 そうした現代日本の状況の中で、「学び」という言葉の用法が、少しずつ変遷をとげているのでしょうか。
 もちろん「学びがありました」自体が、文法上間違っているということを言いたいのではありません。ただ、SNS上における「自分」を作り出す言葉として使われている印象はぬぐいきれません。
「知識と救済」の密接な関係に「学びがありました」が存在するように感じてしまうのです。
 
 

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